洋画好きだった父の影響で、もの心つく前から洋画を見ていました。
まだ幼かったのですが、今も鮮明に記憶しているのは、スクリーンに写し出された、煌びやかなドレスを纏った女優さん達。
見たこともないゴージャスなファッションに、幼心にも心奪われていました。
その影響なのでしょう、今でもその憧れは衰えません。
中でも一番のお気に入りは、1940年代から1960年代にかけての、ディオールのファッションなの。
photo credit: Sacheverelle via photopin cc
洋画好きだった父の影響で、もの心つく前から洋画を見ていました。
まだ幼かったのですが、今も鮮明に記憶しているのは、スクリーンに写し出された、煌びやかなドレスを纏った女優さん達。
見たこともないゴージャスなファッションに、幼心にも心奪われていました。
その影響なのでしょう、今でもその憧れは衰えません。
中でも一番のお気に入りは、1940年代から1960年代にかけての、ディオールのファッションなの。
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福岡県篠栗市 南蔵院の住職さんの講話で忘れられないお話があるんです。
「モンロビア行きの列車」
戦後間もない頃、日本人の女子留学生がひとり、ニューヨークに留学しました。
留学した時に、栄養失調や人種差別、戦後日本が負けたばかりで彼女はいじめにあっていました。
身体の異変に気が付いて、診療所へ行くと[重症の肺結核]という診断が。
まだ死の病だったころなので、彼女に先生は 「モンロビアへ行きなさい。
素晴らしいサナトリウムがある」と教えてくれました。
まだ交通機関も便利ではない時代、特急で5日間かけて行く手段しかなかったのです。
当然、そんなお金などありません。友人が かんぱを募ってくれたお金と、
両親が田畑を売って、かき集めてくれたお金を持って列車へ飛び乗りました。