幸せをはこぶ

人生のちょっと先輩、私たちの大切な友人、フォトグラファーyumieさん。

銀蓮になくてはならない存在です。

 

「これ、とっても心に響くよ。」  ある日彼女から素敵なエッセイを頂きました。

心療内科医の海原純子さんの一ページでした

 

幸せをはこぶ   photographer yumie

 

 

「幸せをはこぶ」

 

友人に女性の写真家がいる。

主にジャズミュージシャンのライブを撮影して、写真展なども開催している。

実にいい表情の一瞬をとらえた作品は魅力的で、彼女に撮影してもらった写真を

私も自分のライヴのフライヤーに使わせてもらっている。

といっても彼女は写真をとることで生計をたててはいない。

企業の管理職をしていてさまざまな資格を持ち、忙しい毎日のようである。

家族の介護もしているから大変だろうなあと思う。

 

幸せをはこぶ    photographer yumie

 

 

その彼女が先日「社会に認められたい」とつぶやいたので、かなり驚いた。

社会的に申し分ない職を持ち、写真を撮ってミュージシャンたちから

絶大な信頼を得ているのにどうして?と、きいてみた。

彼女の話によると、すごい賞でももらわないと写真家として認めてもらえず

「エセカメラマン」と思われてしまう。

他の仕事をして写真を撮っているのは「エセ」であり、それで生計を立てるのが本物で

プロという見解だから、ということだった。

そういう見方が主流なのだろう。お金を稼ぐのがプロでそうでない場合は

アマチュアで趣味、と言う見解だ。

 

私はそんな見解をきくとよくこんな質問をする。

腕のいい眼科の医者が東南アジアの医療過疎地域で無料でボランティア活動している場合は

どう解釈するのでしょう、と。

その医師はお金はもらわないかもしれない。

でもきっと誰かの役に立っているという幸せや、誰かの人生を幸せにする手伝いをしている

充実感という、お金とは別の宝物を患者さんたちとのかかわりの中でもらっているのでは

ないだろうか。

 

幸せをはこぶ    photographer yumie

 

 

私はプロとアマの違いの基準を、お金ではないものにおいている。

それは自分以外の人を幸せにしているか否か、という一点につきる。

その活動を自分だけが楽しんでいるのは趣味でアマチュアだ。

その活動を自分だけでなく人を幸せにできればプロである。

お金を稼いでもアマチュアはたくさんいる。

 

私自身も ものを書いたり、ジャズを歌ってライブ活動をしている。

よく「まあ、よいご趣味で」という人がいるが、そういう人とは友達になれない。

そのことが生計の足しになってもすべてではない場合、自分らしくない仕事はひきうけなくてもよい

というメリットがある。

彼女の場合は共感できないミュージシャンの写真は断ることができるし、

私も納得できないテーマの原稿依頼は断ることができる。

本当に自分の納得できることだけで生計をたてられる写真家やミュージシャンは、

才能に恵まれたごく一握りで、あとは「生きる」ために仕方なくすることも多いだろう。

 

いいじゃないか。エセ写真家、エセもの書き、エセ歌手といわれようと。

彼女の写真は確実にまわりの人を幸せにしているし、私の原稿も読んで共感してくださる人たちがいる。

認められることを求めるのではなく、自分もまわりの人にも、幸せをはこぶことを目指したいと思う。

 

 

 幸せをはこぶ     photographer yumie

 

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