本を読むのって、好きですか?
30歳から40歳までは、床に就く前に本を読むのが日課でした。
しかし、40歳後半になると、雨の日や夜に読書をすると目が疲れるようになってきました。
これを老眼というのでしょうか・・・トホホ・・・
そんな訳で、本を読むことから遠ざかって久しかったある日、ある方から 「この本とてもおもしろかったから、読んでみない?」 と 大きな紙袋を手渡されました。
おもむろに差し出された袋の中を見ると、1冊の本の幅がかなり厚く、しかも、4冊も入っていました。
「えーーー!こんなにあるの!」 正直言って、4冊も読む自信はどこにもありませんでした。
でも、本を貸してくださる方は、人生の達人。
そんな方が読みなさいと言ってくださるには、それだけの理由があるはず!
そう思い「時間がかかるかもしれませんが、いいですか?」とお断りをいれ、お借りすることにしました。
その本が、“ 沙門空海唐の国にて鬼と宴す ” 夢枕獏さんが書かれた本でした。
お借りしたのはいいのですが、どうにもこうにも長編小説を読む決心がつかなくて、約1年くらい寝かせていたある日
“今日から読もう!” 突然そんな気持ちになりました。
いざ読みだすと、おもしろくて、おもしろくて・・・毎日読みたくて、続きが気になって、家事もそこそこに切り上げ、ひたすら読んでいました。
そうして1冊を1日のペースで読み、4日目には完読しました。
我ながら、いざという時の集中力にびっくり!
そこまで夢中にさせた内容ですが・・・気になりますか?
では、さわりだけお教えしますね。
西暦804年、長安に蜜の教えを請うために留学僧の空海と、橘逸勢(たちばなのはやなり)は遣唐使として志願します。
なかなか唐の都に入る事が許されず、空海は唐でもトップクラスであろうといわれるくらいの手紙を唐の国の言葉で書き、入国の許しを請います。
橘逸勢は、自分の事を天才と思っていたのですが、自分を越えて、今まで出くわしたことがないくらいの超天才、空海と出会い、空海から目が離せなくなります。
そんな二人は、唐王朝を揺るがす奇怪な出来事に遭遇し、巻き込まれていきます。
ストーリーの展開に引き込まれていきますが、一番はまったのは、夢枕獏さんの仏教哲学の深さでした。
空海が話す内容だとか、橘逸勢が “ 空 ”とは何か・・について妖怪と話す場面の会話の中にでてくる “ 空 ” のとらえ方だったり・・・
会話の隋所に、格調高い仏教哲学が盛り込まれていました。
この本を薦めてくださった理由がわかったと同時に、この本の中に出てくる哲学のとらえ方を教えていただいた、その方に感謝しました。
最後に、この本の中に出てくる言葉で締めくくります。
生も死も、ひとつのものぞ。
生まれ、生き、死ぬ。
この三つそろうて、初めて生きるということができあがっている。
生まれることも、死ぬということも、生きるということの違うかたちの現れにすぎぬ。
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